팝업 닫기
팝업 닫기
이용불편 신고하기
성명
연락처
-
-
*연락 가능한 번호(필수)
구분
상세 내용
*문제점 및 현황 자유롭게 기재
*문의 내용은 담당자의 확인 후 개선하도록 노력하겠습니다.
이용불편 신고가 완료되었습니다.
韓屋村
韓屋村 翼善洞

概要

익선동
益善洞(イクソンドン)は宗廟(ジョンミョ)と雲峴宮(ウンヒョングン)をはじめ、261年間、朝鮮の正宮(正式な宮殿)として使用された昌徳宮(チャンドックン)に囲まれている四大門内の中心地域であり、地理的にも鍾路区(チョンノグ)の真ん中に位置している。鍾路3街(チョンノサンガ)駅6番出口を出て、路地に沿い北に上ると、道に面した大小の韓屋(ハノク)が集まっている都心の中の韓屋島、益善洞韓屋村(イクソンドン・ハノクマウル)に出会える。
익선동 소개 이미지
朝鮮時代、政治・行政の中心地だった益善洞一帯は、日本植民地時代に路線商業地域に、70年には、ソウル市都市計画で都心部全体が商業地域に用途指定されるに伴い、様々な風流文化と連携した業種の店が立ち並び、エンターテインメントの中心地の役割を果たした。
現在、益善洞は、飲食店やサービス業、小売・卸売り商店街330店余り(2018年基準)が密集した商業地域であり、韓屋を改造した特色ある商店街には客足が絶えない。

歴史

익선동역사 이미지
翼善洞
益善洞は太祖5年(1396)、漢城(ハンソン)府中部の貞善坊(ジョンソンバン)に属しており、英祖27年(1751)には、中部貞善坊の敦寧府上契と敦寧府下契に属していた。1895年には漢城府の中署(ジュンソ)貞善坊敦寧契の敦寧洞・ハン洞・益洞・ル洞・宮洞・ニ洞地域だった。1910年、漢城府(ハンソンブ)中署から京城府中部へ変わり、1911年に改編された中部貞善坊の宮洞・益洞・敦寧洞とニ洞・ハン洞の一部地域が、1914年新たに統合され、益善洞と称した。益善洞という洞名(町名)は1914年洞名制定の時、朝鮮時代からこの一帯の洞里名だった益洞から'益'の字を取って、貞善坊から'善'の字を取って合成したものだ。

朝鮮時代、益洞には、第25代王の哲宗の父の私邸であり、祠堂である樓洞宮(ヌドングン)があったが、日本植民地時代まで哲宗の兄である永平君 李景應(ヨンピョングン・イギョンウン)の子孫たちが住んでいたという。以降、不動産開発業者、鄭世權(チョンセグォン)が樓洞宮(ヌドングン)一帯をはじめ益善洞166番地と33番地、19番地などを購入し、小規模の土地に分割して中小規模の韓屋を建て、売買や賃貸し、今日のような益善洞韓屋村の脈絡を形成するようになった。

現在、観光ホテルが建てられている益善洞34-8番地には、大苑閣(デウォンガク)、三清閣(サムチョンガク)とともに、1970~80年代に三大料亭と呼ばれた悟珍庵(オジンアム)があった。悟珍庵は、ソウル市登録飲食店第1号であり、1910年代初め、代表的な商業用の韓屋であり、旧韓末の画家李秉直(イビョンジク)が住んでいた家であり、1972年の南北冷戦体制を対話局面に導いた、7・4南北共同声明を論議した歴史的な場所でもあった。悟珍庵は、2010年観光ホテルが建設されて撤去されたが、建物部材は釜岩洞315-3番地に移築復元され、住民たちのための伝統文化施設『武渓園(ムゲウォン)』として活用されている。

現状

익선동 현황 이미지
現状
はにかむようにユニークな魅力漂う町、益善洞(イクソンドン)

益善洞は鍾路(チョンノ)区所在法定洞であり、東は臥竜洞、西は慶雲洞、南は敦義洞、北は雲泥洞と隣接しており、1930年代以前に造成された118軒の伝統家屋が密集している。
ソウル市は2018年にこの一帯を韓屋密集地域に指定し、韓屋保全及び振興事業を支援している。

益善洞は、わずか数年前まではあまり人が足を運ばない場所だった。2004年整備区域に指定され、再開発が推進されていたが、2014年再開発組合設立委員会が解散することになり、白紙に戻った。その後、韓屋を改造したカフェ、ビンテージショップなど、様々な店が立ち並び、商圏が活性化し、多くの人々が訪れる名所となった。
益善洞韓屋村(イクソンドン・ハノクマウル)内には50坪台の比較的大きな規模の韓屋も一部あるが、大抵は30坪台以下の伝統家屋が密集しているため、北村(プクチョン)に比べて相対的にこじんまりした雰囲気を持っている。また、敦化門路(トンファムンロ)と隣接しており、道一本入ったところにはピマッギル(敦化門路11ガ道(ギル))と高麗時代から続いてきた路地(敦化門路11ナ道(ギル))の痕跡が残っており、韓屋村とともに、益善洞の長い歴史を見せてくれる。